
トランスファー(移乗)の実践において、ROM(関節可動域)を基準にして考える際、『動作パターン』を理解しておくことが必要不可欠です。
各関節がどういう方向に、どういうタイミングで動くのかを把握しておかないと、ROM単体だけでは目標達成は難しいです。
寄せられたコメントに回答しながら「動作パターンに伴った正常運動」というテーマで講義を進めますが、脳卒中片麻痺の方へ介入をする場合、「正常運動が正しいとは限らない!」というのが今日の結論です。
視聴からのコメント・ご質問
①ヒロユキ・オオナガネさんからのコメント
こんにちは。質問してもよろしいでしょうか?立ち上がりで真っ直ぐよりもやや左外に向けるとよりスムーズなのですが、これはどういうわけなのでしょうか?
動画:【片麻痺者が動けないのはなぜ?被殻出血③】触られているのは分かるがどこを触られているのか分からない!
②トロロコンブのお部屋さんからのコメント
発症2ヶ月弱の左片麻痺のものですが、欠伸や伸びの時の指の進展できたことをイメージして、人工的に伸びを再現するように練習したら、突然手指を意識的に進展させることができました。
あまり、療法士の方などにもこちらから欠伸や伸びの時にマヒ手が動くことをお伝えしてましたが、あまりピンも来ていないようでした。
後、マッサージガンなどを当てながらでも似たようなググーっと手指が伸展する感覚があり、当てながら手を動かしていますが、めちゃくちゃ効果があり、手が動くようになりました。
動画:【Case File12】あくびが出るとマヒ手が動く!
この2つの現象を解説することで、次回から詳しく解説する「正常運動のパターン」をどう捉えればよいのか、話を進めてみようと思います。
オオナガネさんの座位姿勢(左片麻痺)
通常、僕たちは「立ち上がる動作」を考える時、日常生活動作とは駆け離れた、杓子定規で型にはまったパターンを考えがちです。
脳卒中片麻痺の方に対しては、「麻痺側に荷重して両足できちんと立つ」という固定概念からスタートします。
特に、新人療法士の場合、学校や教科書で習った知識をそのまま臨床で活用しようとされます。(これはある意味当たり前で健全なことです)
ところが、臨床で場数を踏んでいくと、「正しいとされている事が、いつも正しいとは限らない」という場面に何度も遭遇します。
オオナガネさんのコメントから、彼の座位姿勢を想像するに、恐らく右側の骨盤が後傾してこけているので、身体を左の外に向けるようにして動いた方が両足に荷重ができるのではと推察しています。
彼の身体的課題は、骨盤が後ろ傾いてしまっていること。
健側の体側を捻じ曲げ、肩甲帯をぐしゃっと潰して、屈曲固定している。
非麻痺側の方が上手に使えていないのが、オオナガネさんの現在のコンディションではないかと捉えています。
マヒ足の問題ではなく姿勢の問題
歩行が難しい場合、どうしても原因をマヒのみに絞ってしまい、機能低下しているから歩けないんだと単純に考えてしまいます。
ところが、現実はそうでもないんです。
脚の能力はある程度発揮できているが、そこにうまく体重を預けるための姿勢が取れないから、あたかも麻痺が重症なように見えているケースもあるわけです。
従って、「動作パターン」を見る時には、正しいかどうかではなくて、『どういう方向に動いたら、当事者の方は動きやすいんだろうか』ということを評価しないとダメなのです。
別の言い方をすれば、「代償動作をしなければならないような、姿勢保持の問題がある」という事です。
「姿勢の問題」という視点から捉えるため、正常運動の知識を持ってくことは重要ですが、脳卒中片麻痺の方に正常運動を練習したら良いとは限ぎりません。
「正常運動」はあくまで評価の1つの判断基準で、今目の前の人に何が起こっているのかを知るためのツールなのです。
麻痺手も同じ
このことは、麻痺手にも当てはまります。
「あくびをするとマヒ手が動く」にコメントして下さったトロロコンブさん曰く、周囲にいる療法士はピンと来ていない…という事でしたが、僕から言わせればこれは至極当然の現象に見えます。
そもそも、トロロコンブさんのマヒ手は「動く手」であり、潜在能力は持っています。
しかし、まひ手を自由に動かすことができなかった背景に感覚入力の問題があり、感覚がうまく入力されなかったのは、興奮が伝わっていなかったことが原因です。
ヒトの手足の随意性は、大脳皮質の一次運動野から興奮電動が伝わる事で開始される、というのは皆さんもご存知の通りです。
興奮性の信号が末端の筋肉に行き渡り、筋肉が収縮した結果、手足の動作に繋がります。
あくびから何らかの興奮が伝わった結果動いたのだから、トロロコンブさんのマヒ手は「動く手」と言えるはずです。
ところが、残念な事に、療法士がそういう発想で捉えていないので、いつまでたってもリーチが出来ないとか、テーブルの上を拭く動作が出来ないといった具合に「動作」として見てしまっており、本質的な事実が置き去りにされてしまいます。
感覚が分かり、自分の手の存在が分かれば、「動き出せるんだ!」と気づけるはずなのに、結果を左右する重要なファクターを見失ってしまいかねません。
これに関した症例は、「Let's ケーススタディ」 p134に掲載してありますので、良ければ参照下さい。
あくびの役割(両側活動)
「【Case File12】あくびが出るとマヒ手が動く!」の動画でも触れていますが、あくびの役割の一つに「脳を眠らせない」事があります。
以前は「酸素不足だからあくびが出る」という説がコンセンサスでしたが、昨今では、「眠気がある状態でも強引に起こしておく」ために、あくびが発せられるそうです。
あくびも、要は興奮なので、脳の興奮伝導が手に伝わります。
あくびは両側活動を誘導するので、あくびをトリガーにマヒ手が動くという事は、その方の手は動く能力を有しているという事です。
今は自分の意識で自由に動かせなかったとしても、人為的に伸びを再現してみたり、マッサージガンを使って振動を与えたりして、振動覚が伝わることで自分の手の存在を自覚することができる。
これがトロロコンブさんがご自身で考え、発見したひらめきであり、改善策なのです。
麻痺手に介入しないリハ病院の事情・構造的問題
ちょっとしたヒントをもとに、当事者の方が素晴らしいアイディアに行きつく半面、実際のリハビリ現場では厳しい事実も存在しているようです。
回復期病院によっては、療法士がなるべく麻痺手に介入しない所もあると聞いています。
理由は、医療経済学的なことです。
厚労省が短期で退院させることを推奨しているため、それを達成しようとするインセンティブが働くため、入院日数を長引かせない病院が多くなっているからです。
年々増加傾向にある医療保険の費用を削減するため、時間をかけてマヒ手を治すのではなく、利き手交換に重きを置いて、FIMや見かけ上のADLを向上させて早々に退院させる風潮があるようです。
対象者の能力を適切に評価できるかがポイント
マヒ手が100%治る事は難しいにしろ、然るべき評価をして、急性期や回復期病院で潜在能力があることを確認し、効果的な練習を施すことができれば、コメントを頂いたお二人は、今のような大変な思いをしなくても済んだ可能性はあります。
とは言え、各療法士は病院ごとに設けているリハビリ方針に従う義務があります。
上司や先輩の指示通りに動くのが当然ですから、知識や経験、権限がない新人療法士の方であれば、尚の事、立場的に致し方ないでしょう。
30年以上の臨床経験がある僕ですら未だに格闘する日々なので、技術的な応用力の習得も含めると、熟達したセラピストとして、教科書の内容や制度的な仕組みに建設的な批評ができるまでに、10年~20年単位の時間は必要と思います。
綺麗ごとかもしれませんが、将来的に全ての回復期病棟で、療法士がこうした視点で対象者の能力を判断できるようになればいいな、というのが個人的な願いです。
まとめ
正常運動を1つの判断材料として、目の前の当事者の状況を的確に判断する。
これが今日の動画の結論です。
脳卒中片麻痺の方に対するトランスファーをROMの視点から捉えた場合、「正常運動」を知っておくのは重要ですが、その方にとって「正常運動が必ずしも正しいわけではない」とう事実を押さえておくと、臨床で非常に役に立ちます。
目の前の方に「正常運動を提供せよ」ということではなく、正常運動を1つの判断材料として、対象者がどういう状況なのかを、きちんと判断しましょうという主旨でした。
ROMだけでは解決できないトランスファーについて、これから更に詳細を解説していく予定ですが、今回はその「前振り動画」でした。
動画内容・チャプター
0:36 トランスファーでは「動作パターン」を理解するのが必須
1:04 正常運動が正しとは限らない
1:19 ヒロユキオオナガネさんからのコメント
2:00 トロロコンブのお部屋さんからのコメント
2:38 真っすぐ立つのが正しい!?
3:24 オオナガネさんの座位姿勢(左片麻痺)
4:39 マヒ足の問題ではなく姿勢の問題
5:30 動作パターンは正しいか否かではなく動きやすさ
6:41 正常運動の知識は重要だが、正常運動を練習すれば良いワケではない
6:58 麻痺手も同じ(トロロコンブさん)
7:27 潜在能力は持っている
8:08 そういう発想で見ていない
8:28 症例:Let’s ケーススタディp134:麻痺側上肢に注意を向けたら潜在能力出せる
8:59 あくびの役割(両側活動)
10:05 麻痺手に介入しない病院の事情・構造的問題
11:22 療法士は対象者の能力を評価できるか
11:33 入院中の方からの問い合わせ
12:57 療法士に相談を
13:22 新人療法士の立場では難しい
14:16 ベテランになるには20-30年はかかる
14:44 まとめ:正常運動を1つの判断材料として、目の前の当事者の状況を的確に判断する