【片麻痺者が動けないのはなぜ?被殻出血⑧】前回介入場面の解説と残念なお話・運動主体感・遠心性コピー・身体所有感と自己と他者の区別

今日は、前回配信した40代男性 被殻出血 ソムリエの方に対する介入場面の詳しい解説をすると共に、皆さんに残念なお話をしようと思います。

いつもにも益して冒頭の前置きが長く、療法士向けの専門的な内容にも言及しますが、最後までお聞き下さればと思います。

残念なお話

皆さんからのお問合せやコメントで「マヒ手を治す方法を教えて下さい!」と頂くことが多々ありますが、この質問の仕方では何も答えは出てきません。

当事者やご家族の方のお気持ちはよく分かりますし、自分の動かない麻痺手を何とかしたいという切実な想いも理解はしています。

ですが、現代医学ではマヒを完全に治す方法は確立されておらず、世界のどこかに魔法のような手技を持っている先生がいて、マヒをあっという間に改善してくれるという奇跡もありません。

そうした事実を踏まえた上で、僕は数年間このチャンネルを通じて「そもそも何故マヒが動かないのか」という背景や理論を説明してきました。

万人に共通するリハビリは存在しない

「脳卒中」には脳梗塞、脳出血、くも膜下出血の3種類があり、出血部位や出血量、年齢、既往などによってマヒの出方、障害の深刻度には個人差があります。

シリーズでお届している「被殻出血」に関し、「被殻」そのものは、手足を自由に動かせる「随意性」に直接的な影響を及ぼす可能性が少ないものの、被殻のすぐ近くにある「内包後脚(ないほうこうきゃく)」が出血により圧迫されると、随意運動の低下が生じてしまいます。

リハビリでは、おひとりおひとりの身体状況を評価した上で、多彩な障害像に潜む要因を分析しなくてはいけません。

ところが、巷に流れるSNSのリハビリ情報は「一般論」でしか語ることができません。

万人に重なり合う要素はあり、一般論の範囲で語れる運動学習プロトコルによって能力が再獲得できる可能性もゼロではありません。

脳卒中リハにおける「最大公約数」として、複雑に異なる障害や問題の中から、最も共通する部分や改善点を見つけ出し、総体として身体機能の向上を図るためのアプローチを提供するのは、リハビリに従事する誰しもが考えていることです。

ですが、基本的にリハビリは1対1の個別指導が望ましく、直接お身体を診ないと分からない事の方が多いです。

マンツーマンリハビリの中で評価した身体状況に基づいて、ご本人が自宅で出来る自主トレを提案する。

これを本来の「自主トレ」と定義づけるのだとすれば、個別リハビリの効果を更に高めたり、促進したりするものとして非常に有用です。

ネット情報から拾った「万人に共通するリハビリ」も意味がないとは言い切れませんが、当事者の方にフィットした内容なのか、今そのリハビリをやる段階にあるのか…は判断が付かないのです。

3つのキーワード

さて、前置きが長くなりましたが、前回のリハビリ介入動画の解説として、3つのキーワードを提示します。

①運動主体感:身体所有感+自己と他者の区別
②中枢部から末梢という順序の筋活動
③課題の解決

手を空中に上げるための筋肉

40代男性 被殻出血・左片麻痺 ソムリエの方に対する介入として、 臥位(がい:身体を横たえた状態)で上肢を空中に上げる練習をしました。

上肢を空中に上げる時、体幹筋が先回りして働く必要があります。手や腕の筋肉ではなく、体幹筋が先回りして働いてくれないと手は上げられません。

体幹の筋肉は、非麻痺側の外腹斜筋が担っています。
動画では、健側である右側の体側で伸展反応を作った上で、マヒ手を横に開く練習を行い、右側の外腹斜筋の賦活を試みました。

やっている動作は単純に見えたでしょうが、リハビリを組み立てる基盤として、様々な知識や経験を総動員しています。
上記のような知識がないと、効果的な上肢の治療にはなりません。

①運動主体感

「運動主体感」は、リハビリの結果を左右するファクターの一つです。

「運動主体感」とは、自分の動きが自分の意思によって引き起こされていると感じる感覚です。運動の主体が自分自身であるという意識です。自らの意思によって行動が生じているという自覚を生み出す源になります。

動画では、80代の片麻痺のおばあちゃんとの「うどん作りのエピソード」をご紹介しました。

うどんをこねる動作の中で、おばあちゃんは、『自分の運動は自分が起こしたものだ』と確信する体験をしました。

運動主体感が欠落する2つの要因

脳卒中片麻痺の方では、運動主体感が欠落していることが多く、ご自身の力で動かしているにも関わらず「先生がサポートしてくれているから動く」と勘違いされている方がいます。

運動主体感が欠如してしまう要因として、2つの事があると考えています。

1-1.身体所有感の欠如

「身体所有感」とは、自分の身体が自分に属していると実感できる感覚です。
この感覚には、自分の手や脚など、身体の一部が自分のものであると感じることや、身体の動きが自分の意思によって起こっていると認識することを言います。

自分のマヒ手が、自分の身体の一部だと認識できることも含まれます。

1-2.自己と他者の区別

脳は自己と他者を綿密な感覚情報として区別しています。
脳卒中片麻痺の方では、これを明確に区別できないケースがあり、そのために「自分ではなく先生が身体を動かしてくれている」と誤解してしまうのです。

自分の身体が自分の身体であるという「身体所有感」を得る事と、今動作をしたのは自分であるという自覚が芽生えると、「運動主体感」を獲得できるようになります。

前回の動画では、椅子の背もたれに手を置いて、グっと押す練習をしてしました。男性の自分で出来た!という成功体験が、運動主体感を得ることに寄与したのです。

②中枢部から末梢という順序の筋活動

筋活動の順序についても触れておきます。

中枢部から末梢の順序で筋肉は働きやすいです。

末端の指の運動を「ファインムーブメント」と呼びますが、末端の運動よりも、手と腕を1本の棒にして動かす方が脳にとっては簡単です。

とは言え、対側と同側の両方の外腹斜筋・内腹斜筋・腹横筋が同期して働いてはじめて、手と腕を開くというのが可能になります。

そうでなければ、身体を回すことでムリヤリ手を動かす事になってしまうので、リハビリの中で、身体部位の判別は的確に行う必要があります。

前回の動画の中で、僕は身体を動かす感覚と、手だけを動かす感覚を区別できるよう介入していました。

新卒1年目の方が実践するには難易度が高いですが、筋肉の作用により、中枢部から末端という順序で行うと、運動主体感を生じやすいです。

中には、末端から介入する方もいますが、随意性の能力が高くないと難しいと思われます。この辺りは、経験に裏打ちされた実践的な知識やスキルがモノを言います。

課題の解決

3つ目のフェーズで重要なのは「課題を解決する」ということです。

「運動主体感」を生じるためには、何かしらの運動が必要で、その運動は具体的に意味のある運動が望ましいです。

漠然と手を上げるのではなく、「椅子の背もたれに置いた手で椅子を動かす」という明確な課題があった方が結果も分かりやすいので良いです。

こうした考え方を支える土台として、「遠心性コピー」のメカニズムがあります。

遠心性コピーと末梢からのフィードバック

脳が運動開始の指示を出すと、その指示情報は動作を行う筋肉に送られるのと同時に、その指示情報の複製(コピー)が脳の他の領域にも送られます。これが「遠心性コピー」です。

「遠心性コピー」は、脳内で自分の身体の動きを事前にシュミレーションする仕組みです。

運動指令が実行される際、指令のコピーも同時に作成されることで、運動予測が成り立ちます。

具体的な例を示してみます。

水が入っているコップを掴もうとする時、コップの重さや硬さを予測し、手をどのくらい開いて、どの程度の力でコップを掴むべきかを自動的に調整・予測するための機能です。

遠心性コピーは、自己と他者の区別、運動の制御、注意の切り替えにも関係していると考えられています。

自分のイメージ通りに動けたか

ヒトの運動出力は「遠心性コピー」と「末梢からのフィードバック」により、精度の高い運動出力へと転換されます。

椅子の背もたれを押した感覚が自分の手に返って来て、視覚や聴覚からも「押した」という感覚が入力されます。

手や脚、耳や目など、身体が知覚した情報を脳に送ると同時に、遠心性コピーは脳内で予測と結果を比較する作業を行っています。

この「突き合わせのプロセス」では、予測と結果がある程度一致することが重要です。

運動出力として単に動いただけではダメで、8割程度の正確さを持って、自分のイメージ通りに動けているというのが必要不可欠になります。

「自分のイメージ通りに動けた」という感覚が返ってくると、「運動主体感」が強化されます。

「課題解決」における「課題の設定」は難しく考える必要はなく、重要なのは具体的な行動に繋がるような形で設定し、“自分ひとりでできた”という実感が得られるようなリハビリの進め方をすることです。

第三者の介入が必要

難しい話を長々としてきましたが、僕のリハビリは多様な理論や知識、経験に基づいています。一見すると平凡に思えるリハビリでも、同時平行で色々な事に着手し、複雑に入り組んだロジックを考えながら実践しています。

繰り返しになりますが、お身体を直接診ていない方に対する自主トレの提案は難しく、最善のリハビリを提供するためには、プロの療法士による介入が不可欠という考えを持っています。

クッションを使った自主トレ

とは言っても、様々なご事情から自費リハビリや僕の個別リハビリを受けられない状況にある方もおられると思いますので、クッションを使った簡易的な自主トレ方法を最後にご紹介したいと思います。

以前の動画で紹介した内容なので、既にご覧になった方もいるかもしれません。

動画 22:50 から開始しますので、チャプターをクリックしてご覧ください。

まとめ

今日の動画は、前回配信したリハビリもようの解説に加え、脳卒中リハビリにおける現実的なお話をさせて頂きました。

運動主体感、中枢部と末梢、遠心性コピーとフィードバックなど、療法士が学習するような専門的・難解なキーワードも登場しましたので、当事者やご家族の方など、一般の方には少し分かりにくいテーマも含まれていたかと思います。

世間一般に出回っているような、表面的でキャッチ―な動画は配信したくないと考えており、視聴者にとって耳障りの良い情報をお届けするつもりもありません。

今回の動画の主旨は僕が一貫してお伝えして来た事ですが、改めて配信致しました。

動画内容・チャプター

0:19 残念なお話
1:42 マヒ手を治す方法を教えて下さい!
2:51 前回の動画:自分の力で動かせた
3:24 被殻出血として区分している理由
5:13 被殻は随意性に影響はないが内包後脚が圧迫されると随意性が低下する
6:25 SNSでは一般論でしか語れない
7:30 前回動画の解説:自主トレは難しい
8:47 3つのキーワード
9:06 上肢を空中に上げる時、体幹筋が先回りして働く必要がある
10:32 手を空中に上げるための筋肉
11:02 80代のおばあちゃんとのうどん作りエピソード
12:28 ①運動主体感
13:43 運動主体感が欠落する2つの要因(身体所有感+自己と他者の区別)
15:54 ②中枢部から末梢という順序の筋活動
16:57 身体を動かす感覚と手だけ動かす感覚を区別して提案
18:08 ③課題の解決
18:46 運動出力:遠心性コピーとフィードバック
20:58 今回の動画はコムズカシイ
22:04 必ず第三者の介入が必要
22:50 クッションを使った自主トレ(手をさする)
24:56 新卒1年目が実践するのは難しいレベル